【この「犬猫通信」をSubstack ( https://dogsorcaravan.substack.com/ ) で配信していますが、note ( https://note.com/koichi2000/m/m036979ead879 )で配信することも検討しています(noteでもテスト配信しています)。現在Substackとnoteでどちらで読むのがよいか、ご意見あればコメントをお寄せください。】
ランニングをしながら、NHKラジオのアプリ「らじるらじる」で聴き逃し配信をポッドキャスト感覚で聴いています。その中で「カルチャーラジオ歴史再発見」という番組で「日本スポーツ文化史」というシリーズがありました。東洋大学の谷釜尋徳教授による講義の第8回が「走る近世武士」というタイトルで、日本における長距離走の起源となる記録や出来事が紹介されていました。碓氷峠を越える山岳走を安中藩が行った「安政遠足(とおあし)」は有名ですが、それ以外にもユニークな事例が紹介されていました。
この講義で紹介されていた出来事を書き留めましたので紹介します。初回放送日は2024年8月20日でした。
https://www.nhk.jp/p/rs/M9R93RK9JJ/episode/re/G6G4MM271K/
山鹿素行の『武家事紀』
江戸時代前期の兵学者・山鹿素行が延宝元年(1673年)に著した『武家事紀』で、武士の鍛錬として「走り比べ」を推奨。これは屋敷内を走って脚力を鍛える訓練で、当時の武士が馬や駕籠に依存しているのを批判している。
安政遠足(1855年)
嘉永8年(1855年)に現在の群馬県安中市にあった安中藩主の板倉勝明が主催したイベントで、安中城(標高150m)から碓氷峠熊野権現(標高1,200m)までの山岳を含む約29kmを往復するコース。50歳以下の参加藩士98名が複数グループで順次スタートし、1日で約60kmを走破した。熊野権現の茶屋に遺されていた『安中御城内御諸士御遠足着帳』に詳細が記されている。
寛政遠足(1791年)
寛政3年(1791年)に幕府が主催した江戸城から鎌倉鶴岡八幡宮までの往復約105kmの徒競走。山田桂翁『法暦現来集』と平戸藩主松浦清山の『甲子夜話』に記録が遺されている。25歳から30歳の江戸在住の武士9名が参加。9名の平均時速は6-7kmで当時の旅人歩行速度(3-4km)を大幅に上回る。幕府がコース整備や庶民への触れ書きをするなど環境を整えた。参加者は竹笠、羽織、股引き、わらじ、そして刀を携えて走った。優勝は13時間26分で市川喜平で将軍徳川家斉に謁見する栄誉を得た。
友成柳次郎による単独遠足(1825年)
文政8年(1825年)に江戸在住の武士・友成柳次郎(岩佐注・漢字表記が誤っているかもしれません)が品川宿から鎌倉・鶴岡八幡宮までの往復85kmを行ったというもの。『遠足願書控』が遺されている。幕府に届け出た上で行われた単独走で、事前に沿道住民に告知があって道中の補給で住民も協力した。午前3時に品川宿を出発、午前8時に鎌倉に着き、食事の後午前10時半には復路出発。午後3時に品川宿に到着。平均時速8.5kmという現代のウルトラマラソンランナーに匹敵するスピードだった。