ヒグマ事故と「自業自得」論。戸惑いの先に見つけた一つの視点
一緒に考えませんか?
8月14日、北海道の羅臼岳でトレイルランのスタイルで下山中の登山者がヒグマに襲われ亡くなるという、大変痛ましい事故がありました。このニュースは、自然の中で走ることを愛する私たち一人ひとりにとって、深く心に突き刺さるものでした。あらためて、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、ご遺族、ご友人の皆様に深くお悔やみ申し上げます。
https://dogsorcaravan.com/2025/08/22/bear-attack-on-trail-runner-in-hokkaido-resulted-death/
この事故の後、SNSなどでは様々な意見が交わされています。その中で、私自身、正直なところ少し戸惑いを覚えたのが、「危険な場所で走るからだ」「自業自得だ」といった、被害者の行動だけに原因を求める声でした。なぜ、このような悲劇を前にして、そうした言葉が出てくるのだろうか。そのやるせない気持ちの正体について、最近になって一つの興味深い心理学の概念を知りました。
今日は、トレイルランニングコミュニティの一員として、その発見を皆さんと共有し、一緒に考えてみたいと思います。
私も最近知った「公正世界仮説」という考え方
その概念とは、「公正世界仮説 Just-World Hypothesis」というものです。
私もこの言葉を知ったのはごく最近なのですが、この視点を知った時、人々がなぜ悲劇の被害者を非難してしまうことがあるのか、その背景が少しだけ理解できたような気がしました。
この仮説は、社会心理学者のメルヴィン・J・ラーナー Melvin J. Lerner (USA) という人が提唱したもので、「世界は基本的に公正な場所で、人はそれぞれの行いに見合った結果を得るはずだ」という、私たちが無意識に持っている信念のことだそうです。いわば「善いことをすれば報われ、悪いことをすれば罰せられる」という感覚ですね。
この信念は、普段は私たちの心を安定させてくれます。「自分はルールを守り、正しい準備をしているから、不幸な出来事は起きないはずだ」と考えることで、私たちは安心して日々を送り、未来のために努力することができます。
しかし、羅臼岳の事故のような理不尽な悲劇が起きると、この「世界は公正なはずだ」という大前提が、ガラガラと音を立てて崩れそうになります。その時、私たちの心は無意識に、その崩壊を防ごうとします。その一番手っ取り早い方法が、被害者側に何らかの「落ち度」を見つけ出し、「その人のせいだ」と結論づけてしまうことなのです。
「トレイルランニングをしていたから」「注意が足りなかったから」と理由をつければ、その悲劇はランダムに誰にでも起こりうることではなく、「個人の過失に対する当然の報い」という、納得しやすい物語に収まります。そうすることで、観察者である自分自身は「安全な側」にいると再確認し、心の平穏を取り戻すことができる、というわけです。
正直にいえば、私自身もさまざまなニュースに接するとき、無意識に「自分は大丈夫」と思いたいがために、被害者の行動に原因を求めてしまいそうになる気持ちが、全くなかったとは言い切れません。この「公正世界仮説」というレンズを通して初めて、自分の中にもあるかもしれない、そうした心の働きに気づかされました。
この視点から見えてくる「自業自得」論の危うさ
この「公正世界仮説」という考え方を知った上で改めて「自業自得」という言葉を見ると、その危うさがよりはっきりと見えてくるように思います。
一つは、現実の複雑さから目をそらしてしまうことです。アウトドアでのリスクは、個人の注意だけでコントロールできることばかりではありません。天候、地形、動物の行動、そして純粋な偶然。様々な要因が絡み合って事故は起こります。原因を一つの「個人のせい」に押し込めてしまうと、そうした多層的なリスクの構造を学ぶ機会を失ってしまいます。
そして、被害者やその関係者を「二次被害」で深く傷つけてしまうことです。コミュニティが一体となって支え合うべき時に、非難の言葉は人々を分断してしまいます。
何より私が一番問題だと感じたのは、社会全体で考えるべきことから、注意を逸らしてしまうことです。
「個人のせいだ」で思考を止めてしまうと、本来私たちが議論すべきだった、より大きな問いが見えなくなってしまいます。
ヒグマの生息域や行動は、今どうなっているのか?
行政や公園の管理者が提供する情報や警告は十分か?
人と野生動物が安全に共存していくために、どんな仕組みが必要なのか?
「自業自得」という単純な物語は、こうしたシステム全体で考えるべき難しい課題から逃れるための、安易な出口になってしまう危険があるのです。
非難から、共に学ぶ姿勢へ
では、このことを知った私たちは、これからどうすればいいのでしょうか。
私自身も学びの途上ですが、まずは、こうした心の働きが誰にでもあるかもしれないと知っておくこと自体が、第一歩なのだと思います。悲劇のニュースに触れたとき、「なぜ?」と個人を責める前に、「何が起きたのか?」「何を学べるのか?」と一歩引いて考える癖を、私もつけていきたいです。
そして、コミュニティとしては、非難よりも共感を、断罪よりも支援を大切にする文化を、より一層育んでいくことが必要だと強く感じます。
さらに、そのエネルギーを、より建設的なシステム作りへと向けていきたいです。北海道 Hokkaido の一部地域で始まっている「標津 しべつ モデル」のような、様々な立場の人々が連携してリスク管理を行う取り組みについて知ることも、その一つかもしれません。
私たちが住む世界から、リスクを完全になくすことはできません。その厳しい現実を受け入れた上で、私たちにできるのは、悲劇が起きた後に誰かを責めることではなく、次の悲劇を防ぐために、共に学び、考え、行動することなのだと思います。
今回のニュースレターが、読者の皆さんと一緒に、この難しい問題について考える一つのきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。


