Outsideのウェブサイトで読んだ記事がちょっと気になったので、今日の犬猫通信はこの記事についての感想文です。
バックパッキングを愛するこの記事の著者は、大学のカウンセラーとのセッションを経て、自分がコントロールできないことと向き合いことから逃れようとする傾向があること、その結果として不確実な未来や人間関係に直面すると、トレッキングギアの購入に逃避する傾向があることに気づいた、といいます。ギアを選んで購入するプロセスは、自分が物事をコントロールしているという実感を得る手段になっていた、というわけです。
これを読んで、私自身もかつてはトレイルランニングとギアへの情熱が似たパターンをたどっていたのではないかと思いました。さらにトレイルランニングのギア以外にも、例えばカメラとかガジェットとかでも同じことが当てはまるような気がしたのです。何か上手くいかない時に、新しいランニングシューズやさまざまなウェアやギアを買おうかと考えをめぐらすことで心の平穏を保とうとしていたのではないか。
ランニングシューズを新しくしたり、昨年出た超軽量防水ジャケットがちょっと改良されたからと同じような新製品を買ったりする。すると自分の人生を少しだけ良くしているように感じることができました。しかし、これは健全なのでしょうか。最新のウルトラライトでカーボン入りのシューズやかっこよくてなかなか買えないバックパックを手に入れることで、自分の問題を解決できると錯覚しているのではないか。
もちろん、ギアの選択に考えを巡らすことは楽しいし、そのこと自体は健全なことだと思います。新しいシューズを選ぶ、新しいウェアを試す、新しいGPSウォッチの新機能について学ぶ。「沼」にハマることは私たちが何か新しいことを学び、成長する機会を与えてくれます。
「沼」にどっぷり浸かる喜びを楽しみつつも、自分が何かから逃避していないか、見つめ直すことも大事かもしれません。「新しいギアを買ったからといって、自分が抱えている問題を解決できるわけではない」と自分に言い聞かせながら、ウェブの記事を見たり、誰かのSNSの書き込みを見るべきなのでしょう。その上で、新しいギアを買ってそれを使ってトレイルを走るときには、そのギアが人生を豊かにしてくれていることを確認しながら走りたいと思います。
皆さんは、ギア選びや買い物が何かからの逃避になっていると感じたことはありますか?コメント欄でこの記事への感想をお聞かせください!
こんにちは。楽しく読ませていただいています!
さて、ギアの購入についてですけど、自分にとってギアは必要だから買うのであって、何かからの逃避で買うという金銭的余裕はありません。できるだけギアは中古品を探して安く買うようにしています。ギアを買う時は吟味して最低限のものしか買いませんし、使わなくなったものは誰かに譲ります。しかし、それが何かからの逃避になるという事を否定するつもりは全くないですし、よく分かります。人それぞれだらの考え方だと思います。